いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち
製作意図
生命を粗末にする、粗末にされる時代がやってきた。またかという気持ちだ。私が幼いころ、青年たちが一銭5厘で外地に駆り出され戦死し、女子供や老人が空襲で焼け死に、300万人の犠牲者を出して日本国は滅びた。終戦後、私たちは灰燼の中から立ち上がり、猛烈な勢いで経済復興に従事してきた。戦争を否定し、貧困を憎み、経済立国の実現に心豊かな日本国を夢見たのである。
そして21世紀、今、私たちは世界有数の経済大国を成し遂げながら戸惑っている。老いも若きも将来への不安に脅え、心豊かではない。
幸せではないのだ。
一体、この国で何が起きたのか? どこで道を踏み違えてしまったのだろうか?
戦後60年、私たちは経済を至上とし、効率と合理性に価値を求め過ぎたのではないか。世界一のスピードで走り、その早さの中で過去の時間を忘れ去り、優しさや弱者への思いやり、人間としての心のあり方を忘れてきたのでは無かろうか。
私たちは、もう一度勇気を持って踏みとどまり、そうしたものを発見し次代に手渡さねばならない。私たち、時代を生きてきた者の義務ではないだろうか。
今、私たちは日本で最も未来的な西和賀町の様相を映画化しようとしている。
西和賀町は沢内村と湯田村が合併して誕生した小さな町だが、「生命尊重の理念」を町是に掲げた、日本では希有の品格と哲学を持った町である。
私たちの仕事は、この町をしっかり見ること、人々に学ぶことだ。そして、出来上がった映画を、日本中の人達に見て貰うことだと思っている。
記録映画「沢内・いのちの作法」制作推進委員会
製作総指揮・ 武重邦夫
内容
本作品は、日本映画学校(神奈川県川崎市)を卒業したばかりの都鳥拓也、都鳥伸也兄弟が、及川和男著の『村長ありき』(新潮文庫)に感銘を受けて企画しました。「生命の尊さ」という今まさに日本人が見つるべきテーマに、二人の恩師である武重邦夫が、その企画の実現を決意しました。監督は、記録映画界の最前線で活躍する小池征人。前作の記録映画『白神の夢 –森と海に生きる–』で世界遺産・白神山地の懐に抱かれた生命を見つめた実績から白羽の矢が立ちました。撮影には、監督の盟友である一之瀬正史が決定しました。
2006年8月にクランク・イン。スタッフは西和賀町に住み込んで、夏三ヶ月、冬三ヶ月の長期撮影を行いました。130時間にも及ぶ記録を、『Shall We ダンス?』(監督・周防正行)など数々の日本映画の編集を手がける菊池純一が、西和賀の美しい風土と文化を織り交ぜながらまとめ上げました。録音は、若林大介。助監督は、中越信輔。音楽は、森拓治と長谷川光。ナレーターには伊藤惣一が参加しました。ベテランと若者が組み、珠玉の記録映画が誕生しました。
奥羽山脈の山懐に抱かれ、岩手県和賀郡西和賀町はあります。平成17年11月1日に旧湯田町と旧沢内村の町村合併により誕生した、人口約8000人の自然豊かな町です。
町の南北を貫く和賀川は肥沃な大地を潤し、清流の代表格であるカジカやイワナ、ヤマメがたくさん生息しています。又、広葉樹と針葉樹がバランスよく混生する和賀山塊は、非常に多くの動植物が生育出来る理想的な環境でもあります。
そのような豊穣な自然の中で育まれる山の幸、川の幸などの恵みを大いに受けながら、西和賀地方の人々は縄文時代から自然と共生してきたのです。
旧湯田町はかつて鉱山の町として栄え、奥州藤原氏が築いた平泉の黄金文化の栄華を支えたといわれています。又、温泉資源にも恵まれ、町の至る所に温かい温泉が点在しています。
一方の旧沢内村は農業や花き栽培を軸に、独自の保健医療福祉政策を守り続けてきた、いのちを大切にするという「生命尊重の理念」があります。
旧町村は、明治以前は「沢内通り」として一つの地域でもありました。もともと、歴史や文化、暮らしを共有してきたのです。
合併を機会に、改めて、旧町村の地域理念を、東北地方に受け継がれる互恵互助の「結いの精神」で活かしていこうとしています。
生命行政
昭和30年代の旧沢内村は天牢雪獄と例えられるほどの豪雪地帯のため、冬季は交通、産業などが麻痺状態となりました。病気や怪我をしても病院には行けず、赤ン坊や高齢者が当たり前の如く亡くなるという状態が続いていました。豪雪、貧困、多病多死という三重苦に村民は何も出来ず、死を宿命として諦めて生きていたのです。その悪循環を断ち切るために立ち上がったのが、第18代村長の深沢晟雄氏です。
「住民の生命を守るために、私は自分の生命をかけよう」
深沢村長は村民の生命を守るために、村民や職員と度重なる議論をしながら村ぐるみの努力をしました。冬季交通、医師や保健婦の確保。患者のカルテを集落ごとにまとめ、全ての村民の健康を把握するという保健医療の仕組みを築き上げました。
当時の厚生課長による乳児・老人医療費無料化の提言を全国に先駆けて英断し、昭和37年、日本で初めて乳児死亡率ゼロを達成したのです。当たり前であるはずの生命が当たり前でなくなっていた時代に、真正面から生命を見つめることによって築き上げられたのが、生命を大切にするという「生命尊重の理念」です。深沢村長は2期目を終えようという昭和40年、病に倒れそのまま帰らぬ人となりました。しかし、その後も旧沢内村は生命尊重を村是とし、西和賀町となった今日に受け継いでいます。